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世界史情報局

世界の全史を自分なりに見渡してみようと思って始めたブログ。近代以前の世界史の中心だった東アジアと西アジアの視点から、なるべく手を広げながら通史を書いています。根も葉もない出鱈目は書かないけど、面白さ重視で描写の脚色もします。

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中華世界の歴史7 春秋時代への道

紀元前9世紀半ば。
伐殷建国よりおよそ二百年が経過し、周王朝は徐々に衰退をはじめた。

紀元前857年頃に即位した第10代の厲王(れいおう)は周朝最初の「暴君」であった。
彼は佞臣を近づけて暴虐をほしいままにし、諌める臣下を次々に殺した。
宮廷には陰鬱の気が満ち、群臣は保身に汲々とした。民は思うところを口にせず、目をそばだてて意を交わしたという。

「愚民の戯言など余は聞きたくない。近頃は不満を漏らす者が少なくなり、まことに快適だ」
喜悦する王に向かい、召公(しょうこう)という人物が果敢に申し立てた。
「王よ、民の口を塞ぐのは洪水を塞ぐよりも難しいもの。その洪水がひとたび起これば多くの者が傷つきまする。民の口を塞ぎ続ければ、いずれは洪水よりも大きな災いが……」
「失せろ」

紀元前842年。
暴政に溜まりかねた民は、ついに実力行使に出た。王宮に侵入して厲王殺害を図ったのだ。王は狼狽して異国へ逃れた。
このとき幼い王子の「静(せい)」が召公の館に逃げ込んだ。民はそれを知って召公の館を取り巻き、王子を出すように怒号した。

「周室衰えたりといえども天命は未だ去らず! 王家に仕える者は暗愚の君を怨みはしても、怒りに任せて復讐はせぬ」
召公は実の我が子を身代わりとして民の前に突き出し、彼らが我が子を仇の子としてなぶり殺しにするのを黙然と見つめ続けた。
たとえ身を切るほどに辛くとも、それが貴族としての誇りであり、天命ある周王朝を守護すべき者の責務であった。

宗周鐘
(「宗周鐘」と呼ばれ、厲王による南方征服について記されている)


空位となった周では共伯(きょうはく)和(か)という人物が諸侯に推戴され、国事を代行した。これが「共和」の語源であるという。
やがて厲王が帰国すると共伯は問答無用で王を幽閉し、召公らとともに静を理想の王に育て上げることに専念した。

紀元前828年。
厲王の死を受けて、静が第11代宣王(せんのう)として即位した。
宣王の治世は当初素晴らしいもので、周朝中興の英主となるかに見えた。我が子を犠牲にして王統を保持した召公の思いは報われたようだった。

しかし、時とともに宣王は育ての親より実の父に似はじめる。
紀元前789年に異族と戦って大軍を失い、民に労役を科して国勢挽回に努める。諫言はすべて無視された。

King_Xuan_of_Zhou.jpg
(宣王)


紀元前780年、西土を大地震が襲った。民は東西に逃げ惑う。本国の天災によって周王朝の土台は激しく揺らいだ。


『東周列国志』にいわく、当時、このような俗謡が流行ったという。

「月将昇、日将没、桑弓箕袋、几亡周国(月はまさに昇らんとす。日はまさに没せんとす。桑の弓、箕の袋、すでに周国亡びんとす)」

不吉な予感に打たれた宣王は民に弓を持つことを禁止し、杜伯という臣下に命じて市場で弓を売る女を処刑させた。
ところが王はある夜の夢で、弓を持つ美女が王家の宗廟に入る情景を見た。
恐慌した王は、今度は杜伯を処刑する。
それからほどなく、王は狩りに出た。
茫々たる野のなかで、王は不意に白い装束を来た騎士が幻のように出現するのを見た。
それは他ならぬ杜伯の亡霊であった。

「――ひっ!」

王が声にならない悲鳴を上げた時、亡霊は弓を引いて矢を放った。矢は真っ直ぐに王の胸を貫いたという。


かくて宣王が没し、第12代の幽王(ゆうおう)が即位する。

「大地が鳴動し、三川が枯れて岐山が崩れた。いまや周王朝の時代は終わろうとしている……」

不吉な予言が囁かれるなか、若き幽王は紀元前777年に褒姒(ほうじ)という名の絶世の美女に出会った。これが周王朝の没落の端緒であった。

無題
(傾国の美姫、褒姒)

褒姒は氷のごとき麗人であった。
彼女の美貌は氷の如く清らかで、氷の如く冷たい。
彼女は決して笑わない。心ここに有らず、想い焦がれる王の言葉に耳傾けず、王の面に視線を留めない。

幽王は氷の美女の心を得ることに躍起になった。褒姒の冷ややかな美貌が己のために微笑むことを切に望んだ。

あるとき、絹が裂けて高く澄んだ音を立てた。その時、冷たい褒姒の表情がわずかに緩んだ……ような気がした。
幽王は国中から高価な絹を集めて、一日中褒姒の前で絹を裂き続けた。しかし彼女の表情が変わることは二度となかった。
民と諸侯はこの時点で王を救いがたい暗君と認定した。

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(短編「褒姒の笑い」が収録されている)


そしてあの忌まわしい事件が起こる。
西土の危急を告げる狼煙が上がり、中華全土の諸侯が緊急動員をかけて王家を救うために鎬京に集まった。
来てみれば何のことはない、全くの手違いだった。唖然とする諸侯を見たとき、奇跡が起こった。
褒姒が笑ったのだ。
それはとても高らかで不吉なほどに明るい笑声だった。王は陶然とした。

それから幾度も狼煙が上がり、そのたびに諸侯は兵を率いて都へ集まった。そして美女の空虚な笑いを聞いて、憤懣のうちに封国へ帰るのだった。
諸侯は王への信を失い、次第に狼煙を無視しはじめた。

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(はるか後代の狼煙台)


伝説によれば、その頃、鎬京の宮殿の奥深くにある文書庫で、一人の史官がふと手にした竹簡に恐るべき文字を見出して戦慄したという。
「周亡矣(周、滅びたり)」
メネ・メネ・テケル・ウ・パルシン……旧約聖書のダニエル書にある「ベルシャザルの饗宴」のごとく、天は現実の破局に先立ってすでに周王朝の破滅を定めていた。


紀元前771年、王位継承問題を巡って王と対立した申侯(しんこう)が、犬戎(けんじゅう)と呼ばれる西方の異族とともに鎬京を急襲した。
彼は幽王の最初の妃の父だった。褒姒さえいなければ、王が褒姒に溺れさえしなければ、周王の祖父になっていたはずなのだ。
美女に溺れて諸侯を戯れに頤使する暗愚の王は、これを滅ぼすことこそ天意である。
申侯はそう断じた。

破滅の日は来たれり。
狼煙台に火が点ぜられ、濛々たる白煙が青空に立ち上った。烽火は千里に連なり、西土の危急を広大な華夏中原に伝達していった。
しかし、もはや東方諸侯は誰一人王を信ぜず、援兵はついに一人もやって来なかった。

鎬京は炎上し、幽王は東へ逃走中に驪山(りざん)の麓で犬戎に追い詰められ、全身に無数の矢を浴びて死んだ。

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(驪山)

大混乱のなかで周王朝に二人の王が並立した。
申侯が鎬京に擁立した携王(けいおう)
そして中原の諸侯によって東の副都・洛邑で擁立された平王(へいおう)

未曾有の内乱は12年間続き、最後に平王を擁する東方諸侯が西周政権を打倒した。
周の再統一はなったが、旧都鎬京は完膚なきまでに破壊され、周朝の故地たる西土は犬戎の侵入と内乱によって荒廃の極みに達した。
平王は洛邑に帰り、以後はこの地が周王朝の首府となる。


彼の黍離離たり 彼の稷苗 行き邁くこと靡靡たり 中心搖搖たり
我を知る者は 我が心憂ふと謂ふ 我を知らざる者は 我何をか求むと謂ふ
悠悠たる蒼天 此れ何人ぞや


――古き都は荒れ果て、キビの苗が風に揺れる。歩み進むにつれて、我が心は揺れる。
我が心を知る者は、我が憂いをいう。我が心を知らぬ者は、何を求めるのかという。
大いなる天よ、変わることなき蒼天よ、古き都をかくのごとく荒れ果てせしは、これ何人ぞ。


彼の黍離離たり 彼の稷穗 行き邁くこと靡靡たり 中心醉ふが如し
我を知る者は 我が心憂ふと謂ふ 我を知らざる者は 我何をか求むと謂ふ
悠悠たる蒼天 此れ何人ぞや


――古き都は荒れ果て、キビの穂が風に揺れる。歩み進むにつれて、我が心は悼み嘆く。
我が心を知る者は、我が憂いをいう。我が心を知らぬ者は、何を求めるのかという。
大いなる天よ、変わることなき蒼天よ、古き都をかくのごとく荒れ果てせしは、これ何人ぞ。


彼の黍離離たり 彼の稷實 行き邁くこと靡靡たり 中心噎ぶが如し
我を知る者は 我が心憂ふと謂ふ 我を知らざる者は 我何をか求むと謂ふ
悠悠たる蒼天 此れ何人ぞや


――古き都は荒れ果て、キビの実が風に揺れる。歩み進むにつれて、我が心はむせび泣く。
我が心を知る者は、我が憂いをいう。我が心を知らぬ者は、何を求めるのかという。
大いなる天よ、変わることなき蒼天よ、古き都をかくのごとく荒れ果てせしは、これ何人ぞ。

(『詩経・王風』「黍離」)



周王朝の権威は地に堕ちた。各地の封君は名目上で周王家を尊重しながらも、自らの利害や生存のために動きはじめる。

最初は周の再興に力を尽くした河南の小国、「鄭(てい)」が政局の中心となった。
しかし小国の為し得ることは限られている。程なく、華夏東方の大国「斉(せい)」が浮上を開始する。
王朝創建の功臣、太公望呂尚が封じられた斉国は山東に位置し、山と海に面する富裕な国である。

幽王の破滅からおよそ百年、斉の国で「最初の覇者」と呼ばれる「桓公(かんこう)」が登場する。
天下列国が力ある盟主のもとに集合離散する「春秋時代」がはじまったのだ。


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