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世界史情報局

世界の全史を自分なりに見渡してみようと思って始めたブログ。近代以前の世界史の中心だった東アジアと西アジアの視点から、なるべく手を広げながら通史を書いています。根も葉もない出鱈目は書かないけど、面白さ重視で描写の脚色もします。

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イスラーム世界の歴史2 時代の使徒ムハンマド

     輝かしき夜明けにかけて
     また静かに更け行く夜にかけて。
     汝の主は汝を見棄てざりき。かれ汝を憎み給わず。
     げに今の日は苦しくとも、やがて好き終わりの日汝に来るべし。
     汝の主おそらく汝を褒賞し、汝は心みちたりてあらん。
     神はかつて孤児なりし汝を見出して庇い給いしにあらずや。
     また汝の貧しきを見て富を与え給いしにあらずや。
     されば汝もまた孤児を見て、これを冷遇することなかれ。
     物乞う人を見ては拒むことなかれ
     かくて汝が主の恩寵を声高らかに説き明かせ


               ――「コーラン」爽昧の章(井筒俊彦訳)


イスラームの開祖ムハンマドは西暦570年頃にアラビア半島西部、ヒジャーズ地方のマッカ(メッカ)の町で誕生した。
彼の父はアブドゥッラーフ、母はアーミナ。祖父はマッカの長老アブドゥル・ムッタリブ。
クライシュ族の名門、ハーシム家の本家筋にあたる家柄だった。


「預言者」ムハンマドの生涯は無数の伝説に彩られているが、史実として確定できることは少ない。
とくに前半生、彼が歴史の表舞台に登場するまでの事績は、実のところ謎に包まれている。
そのなかでも、ある程度確からしいことを繋ぎ合わせていくと、次のような物語を描き出すことができる。


ムハンマドが生まれる前に父のアブドゥッラーフは病に倒れ、帰らぬ人となった。
幼いムハンマドは、5年ほどのあいだを砂漠のベドウィン族のもとで過ごしたという。
当時、マッカのクライシュ族の間では、子供を砂漠で育てることで心身ともに鍛え、自分たちのルーツを体得させるという風習があったらしい。

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(アラビアの砂漠)


6歳の頃、ムハンマドは母のアーミナに連れ戻され、ヤスリブ(マディーナ)の町へ引っ越した。
だが、その後程なくアーミナもまたこの世を去り、ムハンマドは孤児となる。

ムハンマドを救ったのは、マッカのハーシム家の家長である祖父のアブドゥル・ムッタリブだった。
アブドゥル・ムッタリブが死去したあとは、家長を継いだ叔父のアブー・ターリブがムハンマドの養育を引き受けた。
アブー・ターリブは甥のムハンマドを目に入れても痛くないほど可愛がり、いつもそばに連れ歩いていたという。

ムハンマドが10歳になると、アブー・ターリブは彼をシリアへの隊商の旅に連れ出した。
これ以後、ムハンマドはマッカの交易商人としての人生を歩み始める。


20代になったムハンマドは叔父のもとを離れ、15歳年上のハディージャという富裕な女商人に仕え、彼女の代理人として各地で交易を行った。
ムハンマドは誠実で公正な人物として知られるようになる。
雇い主のハディージャも彼の人柄に惚れ込み、ついに結婚を申し込んだ。

西暦595年、25歳のムハンマドは40歳のハディージャと結婚する。
年齢の差にも関わらず2人の仲は睦まじかった。幾人かの子供も生まれたが、男子はいずれも幼いうちに死んでしまったという。


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(天使ジブリールがムハンマドの家を訪れる。左がハディージャ)


さて、いつの頃からかムハンマドは時折人々のあいだから姿を消し、ひとり瞑想に耽るようになった。
ムスリムの伝承や、宗教としてのイスラームを論じた書物では、ムハンマドが堕落したマッカの社会に嫌気が差して、何か人生の導きとなるものを求めていたといわれることが多い。
確かにそうした面もあったかもしれない。
当時の中東では世俗の生活に飽いた者が荒野で宗教的な隠修生活を送ることが、ある種の流行のようになっていた。
ムハンマドもそんな時代の習わしに従ったのだろう。


ともあれ西暦610年8月10日の夜に「その時」は来た。

マッカ郊外、ヒラー山の洞窟。
ここで常のごとく瞑想に耽っていたムハンマドの前に、突如巨大な人影が現れたのだ。
「それ」は自分が「天使ジブリール(ガブリエル)」であると名乗り、圧倒的な威厳をもってムハンマドに命じた。


「読め! 創造者たる神の御名において。いとも小さき凝血より人間をば創り給うた御方。読め、汝の主はいとも尊く、筆により書くことを教え給うた御方。人間に未知なることを教え給うた御方」


ムハンマドは己の正気を疑って我が家に逃げ帰った。
だが、妻のハディージャは彼を力づけ、これまで数多この世に現れた預言者(ナビー)たちと同じように、ムハンマドが「神の使徒(ラスール)」として召命を受けたのだと励ました。
後世のムスリムたちはこの夜のことを「ライラト・アルカドル(力の夜)」と呼んでいる。

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(ムハンマドが最初の啓示を受けたとされるヒラー山)


天使ジブリールは幾度もムハンマドに神の啓示をもたらした。

アラブの民は無数の神々の像を拝んでいるが、真の神は唯一、世界を創造した「アッラー」のみである。
アッラーは過去に多くの民族に幾度も預言者を遣わしたが、人々は神を畏れることも、神に感謝することも忘れ、生命なき偶像への崇拝に耽っている。
本来人は神の前ではみな平等であるのに、富める者や力ある者は貧しい者や弱い者を蔑ろにし、己の欲望のままに生きている。
ゆえに、この時代にあってアッラーは、アラブ人のもとにアラビア語で神の意志を代弁する預言者としてムハンマドを遣わす。
ムハンマドは人間世界に遣わされる「最後の預言者」である。
ムハンマドの説くことを人間たちが受け入れなければ、もはやこの世界は滅ぼすのみ。


妻のハディージャと、従者として仕えていた解放奴隷のザイドが最初にムハンマドの預言を信じた。
ついでアブー・ターリブの子でムハンマドにとっては従弟にあたるアリー、年来の親友アブー・バクルも教えを受け入れた。
マッカのほとんどの人々はムハンマドの預言なるものを一笑に付したが、マッカの町の貧者や奴隷にはじまり、
やがては富裕な商家の若者たちもムハンマドのもとに集まって、真剣にその言葉に聞き入るようになった。

その頃、まだムハンマドが説く教えにこれといった呼び名はなかったが、後から見れば、これは最初期の「イスラーム教団(ウンマ)」に他ならない。

マッカの町の有力者たちは次第に不安を感じはじめた。
自分たちを「腐敗している」と指弾し、マッカに富をもたらす聖域カアバの神々を「生命なき偶像」と言い捨てるあの男は、徒党を集めて町を乗っ取るつもりではないか。

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(信徒に教えを説くムハンマド)


最初の啓示から9年が過ぎた619年。
常にムハンマドの後ろ盾であり続けた叔父のアブー・ターリブ、そして心の支えだった妻のハディージャが相次いで亡くななった。

マッカの町を支配するのは、「有徳者同盟」と呼ばれる有力商人たちの合議体である。
クライシュ族の家長たちは、ムハンマドが宣教を続けるのであれば、ムハンマドを庇護するハーシム家を有徳者同盟から放逐すると宣言した。
アブー・ターリブの死後にハーシム家の家長となったアブー・ラハブは圧力に屈した。

「ムハンマドよ。身寄りのないお前を育て養ってくれた祖父のアブドゥル・ムッタリブ、叔父のアブー・ターリブはいまどこにいるのか」
これは恐ろしい尋ねかけだった。祖父はもとより、アブー・ターリブもムハンマドの度重なる懇請に関わらず、とうとうイスラームを受け入れないまま世を去ったのだ。
ムハンマドはこう答えざるを得なかった。
「――アブドゥル・ムッタリブもアブー・ターリブも地獄にいる……」

「なんと恥知らずな戯言をいうのだ、この忌まわしい狂人は! 計り知れぬ恩義を祖父や叔父に受けてきながら、こともあろうに彼らが地獄にいるなどと!」
ここをもってアブー・ラハブはハーシム家によるムハンマドへの庇護を打ち切ることを宣言し、先祖を侮辱されたと感じたクライシュ族とムハンマドとの対立は決定的になった。

「コーラン」の一節に、ムハンマドの凄まじい怒りを感じさせる章句がある。
「腐ってしまえ、アブー・ラハブの両手よ、すべて腐ってしまえ……。彼の富も金も、彼には何の役にも立たない。やがて彼は業火の中で焼かれよう。薪を運ぶのは彼の妻、首に棕櫚の荒縄をつけて」


有徳者同盟はムハンマドと信徒たちを激しく迫害した。
街路で石を投げつけ、ムハンマドに従う貧者や奴隷に拷問を加えた。

もはやマッカに留まることは不可能である。

622年、北方のヤスリブ(マディーナ/メディナ)の町が、内部紛争の調停者としてムハンマドを招請した。幼い頃、短い期間とはいえ母と一緒に暮らしたことのある町だ。
渡りに舟だった。この機にムハンマドと信徒たちはマッカを離れ、ヤスリブへの亡命を決意する。


有徳者同盟はムハンマドがヤスリブで力を強めてマッカに反撃してくることを恐れ、密かに対策を練った。
いかにムハンマドが目障りで危険であっても、彼を完全に抹殺するのは難しい。
なんとなれば、アラブの民には「血の復讐」の掟がある。
日ごろムハンマドがどれほど反感を買っていようと彼はハーシム家の一員である。もし他家の者がムハンマドを殺害すれば、ハーシム家は名誉にかけて下手人の一族を皆殺しにしようとするだろう。

「ならば、クライシュ族の各家族から一人ずつの刺客を出して、一斉にムハンマドに斬りつけよう」
「なるほど、ハーシム家もクライシュ族のすべての家門に対して復讐を挑みはすまい」

だが、預言者の動きは一足早かった。
7月16日の新月の夜、ムハンマドは親友アブー・バクルとともにマッカから姿を消した。
もっとも忠実な弟子の、従弟アリーがムハンマドの代わりに彼の寝床に横たわった。
そうとは知らぬ暗殺者たちは、ムハンマドの家を蟻の這い出る隙間もないほどに取り囲み、一気に邸内に踏み込んだ。
ところが、家の中はもぬけの殻。寝床で待ちうけていたアリーはたちまち躍り出て刺客をことごとく撃退し、
翌日にはムハンマドが抱えていた借金を全て返済し、直ちに師を追ってヤスリブへ奔った。

これが後の世に「ヒジュラ(聖遷)」と呼ばれる出来事であり、イスラーム暦の起点とされている。


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(イスラーム教団の聖遷。ヤスリブの他、信徒の一部はエチオピアのアクスム王国へも移住した)


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