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世界史情報局

世界の全史を自分なりに見渡してみようと思って始めたブログ。近代以前の世界史の中心だった東アジアと西アジアの視点から、なるべく手を広げながら通史を書いています。根も葉もない出鱈目は書かないけど、面白さ重視で描写の脚色もします。

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クリミア半島へ行ったときの件(1)

モンゴル帝国の西方遠征を書いていて思い出した件。
近ごろ不幸な成り行きでニュースによく出るクリミア半島をむかし一人旅したことがあるので、そのときのことをつらつら書いてみようかと。

1280px-ウクライナの地図
(解説不要な気もするけど、黒海に突き出た菱形の半島がクリミア半島)


それは2007年の9月だった。いまから8年も前というわけで、時の流れるのは実に早い。

クリミア半島に行ってみたくなったのはいろいろと理由がある。

この土地には世界史の源流のようなイメージがあった。
アフリカからユーラシアに溢れ出した人類が世界に拡散しはじめたとき、イスラエルのガフゼー遺跡やグルジアのドマニシ遺跡に痕跡を残した人々は、カフカス山脈を越えてウクライナの豊かな平原を見つけ、そこから東西に旅立っていったのだと思っていた。
まあ、ここ数年で人類の世界拡散が何波にも分かれていたことや、早期のうちにユーラシアの南の沿岸沿いに極東まで進出した人類集団がいたらしいことなんかも判明してきたようだけど。
それでも多分、世界人類の大部分は、かつてクリミア周辺で暮らした人々の血を多少なりとも受け継いでいるんじゃないかと思う。

紀元前三万年頃、ネアンデルタール人に育てられたクロマニョン人の少女を主人公とする小説、『大地の子エイラ』だってクリミア周辺が第一部の舞台だし。うん。

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ローマ帝国やフン族、ハザール王国、古代ロシアやヴァイキング、モンゴル帝国なんかも大好きだ。
そのへんも全部クリミアに絡む。
地中海世界から見ればクリミアは世界の北の果てで、ロシアから見ればクリミアは南の果て。
一方は雪に覆われた暗黒の地であるかのようにイメージし、一方は陽光溢れるバカンスの地のようにイメージする。
そんな多重性も魅力的だった。

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(クリミアの避暑地を舞台にした短編だった気がするけど、どうだったか)



まあ、そもそもはシベリア鉄道に乗りたかった。
北京からモンゴル高原を縦断してバイカル湖に臨み、巨大なシベリアを横断して赤の都モスクワに到達し、そこから古都キエフに南下してウクライナで締める。そんな長旅がしてみたかったのだ。
ところが資金面や時間面もろもろの難に加えて、ロシア入国の手続きが実に面倒くさいことが判明した。

今はどうだかわからないが、当時は

「ロシアのビザを取得するためには宿泊施設の予約が必要」かつ「ロシアの宿泊施設を予約するためにはビザが必要」

という感じのめちゃくちゃな制約があったのだ。ちょっと素人には手に負えない。
というわけで、旅の終点にするつもりだったクリミア半島をメインターゲットにすることにした。


他にももろもろの成り行きがあって、

「トルコのイスタンブールから船で黒海を渡り、オデッサからクリミア経由でキエフに抜けて、中央アジアのウズベキスタンを経由して帰る」

という壮大な旅行になった。


行きにタシケント空港で乗り換えたとき、ウズベク人の審査官に「イスタンブールで着陸してキエフで離陸するとはどーゆーこった?」と突っ込まれ、「シップでブラックシーを渡るのだ」と応えたら、えらく驚嘆された。
海のないウズベキスタンの人にとって、なおさらに規格外のルートに思えたのかもしれない。ちょっと気分が良い。


あとから気づいたけど、ウズベキスタンとトルコとウクライナの三ヶ国を旅行するとなると、14世紀のティムール帝国をコンプリートしている感がある。
飛行時間の長さからあらためて痛感する覇王ティムールの偉大さよ。


で、こんな巨船でイスタンブールを出航。
164.jpg

トプカプ宮殿を眺めてベルギー人の兄ちゃんと駄弁りつつ船出を待っていたのだが、日付が変わっても一向に船が動き出す気配がない。
諦めて船室に入り、翌朝9時ごろに起きだしたらとっくに船出してボスポラス海峡を抜け、ブルガリア沖あたりを航行中だった。いったいいつ動き出したのだ。

165.jpg

こんな妙なルートを旅する日本人は自分ぐらいだろうと思っていたら、船上で別の日本人夫婦と遭遇。世界は広いというか狭いというか難しい。

この日は一日中黒海を北上するだけなので、退屈極まりない。

船内のバーで暇つぶしにナッツをダラダラと噛み締めていたら、「イゴール」というガタイの良いロシア人と知り合った。
なんでもサハリン/樺太のユジノサハリンスクに家があって、船乗りをしているらしい。
ロシアは途方もなく広いけど、ユジノサハリンスクといえば日本の目と鼻の先ではないか。楽しい。

Yuzhno-Sakhalinsk.png
(稚内から100キロも離れてないはず)


サウジアラビア人やトルコ人の兄ちゃんとも、水を入れると白く濁る「ラキ酒」を飲んで盛り上がる。
試しに「ムスリムなのにアルコールを飲んでもいいのか?」と訊いたら、「ワインじゃなければいいんだ」とお答えになった。
ハナフィー派の法解釈ではそういうことになる。
本で読んだ知識とリアルなムスリムの回答が符合して面白い。


残りの時間はマルグリット・ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』を読んで時間を潰していた。
黒海のうえで、若き日のハドリアヌスがドナウ河口を越えてスキティアの原野に馬を走らせる様や、死の床のハドリアヌス帝にフラウィウス・アッリアノスが書き送った黒海就航記を読むのは何とも不思議な感覚だった。
アッリアノスやハドリアヌスが目にする黒海は霧に覆われた神秘の海。
けれど、いま目にしている現実の黒海は夏の終わりの雲一つない青空のもと、どこまでも穏やかで翳りのない世界だった。

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168.jpg

黒海。

トルコ語では「カラ・デニズ」、ロシア語では「チョールノイ・モーリェ」、いずれにしても「黒い海」という意味である。
あとで調べたら、冬に荒れ狂う黒海を古代ギリシア人が「暗黒の海」と呼んだのが由来だとかなんとか。
たしかにギリシア神話では、アルゴー船の航海にしても、オデュッセイアーにしても、黒海は不吉な荒海として描かれている。
といっても、ペリクレスの時代には黒海北岸にギリシアの植民都市がいくつも建設されて、大量の小麦を出荷していたんだけどな。

まあそんなことはさておき、実際にこの目で見た夏の終わりの黒海は実に穏やかで、どこまでも青い海だった。

「黒海は黒くない!」

これは繰り返し主張したい。想像以上に黒くなかった。黒さの欠片もなかった。詐欺である。


そんなこんなで、翌日の昼過ぎにはウクライナの海岸に接近。
予定だとたしか12時頃にオデッサ入港のはずだったのが、平気の平左で船は遅れに遅れ、予約していた夜行列車に間に合うのかやきもきする。

それでも14時近く、左舷に遠くロシア正教の教会らしきものが見えたときには少し感動した。
本当に海を渡ってイスラームの国から正教の国に来たのだと。ヴァリャーグやオスマン帝国やロシアの艦隊が往来した、世界史に名高い海を超えてきたのだと。

いや、もっとシンプルにいえば。
地図に描かれた世界は本当に存在していたんだと。

174.jpg

15時半頃にようやくオデッサに入港。
これでなんとか間に合うかと一息つけば、今度は無駄に長ったらしい入国審査が待っていた。
列に並んでパスポートを見せるだけで小一時間。
これも旧ソ連の歴史的遺産だと思えばむしろ面白くもあるのだが。


続く?

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