世界史情報局

世界の全史を自分なりに見渡してみようと思って始めたブログ。近代以前の世界史の中心だった東アジアと西アジアの視点から、なるべく手を広げながら通史を書いています。根も葉もない出鱈目は書かないけど、面白さ重視で描写の脚色もします。

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黄金のアフガニスタン展

東京上野の国立博物館で今日までやっていた「黄金のアフガニスタン展」を見に行ってきました。

展示されていたのは内戦やタリバンの台頭のなか、アフガニスタン国立博物館の館員たちが生命を懸けて地下金庫に移送し、秘匿した貴重な遺宝の数々です。
彼らは隠し場所を家族にも告げず、14年間も秘密を守り続けたそうです。そのあいだに博物館はミサイルで破壊され、貴重な古代の遺宝は永遠に失われたと思われていました。
ところがアフガニスタンにようやく平和と秩序が回復された2004年、遺宝を守り続けて来た鍵の番人がついに真実を公表。
この方々の勇気に感謝を。

Taller_Buddha_of_Bamiyan.jpg
(何しろタリバンはこういうことをやらかした)

展示内容は五章構成です。

最初はテペ・フロール遺跡から発掘された紀元前二千年頃の黄金杯など。ここにあったのは三点だけであっという間に通り過ぎてしまいますが、メソポタミアとインダスを繋ぐミッシリングリンクの手がかりとして注目されているようです。


次は有名なグレコ・バクトリアのアイ・ハヌム遺跡。
バクトリアはアレクサンドロス遠征軍やセレウコス朝の駐留軍末裔たちが中央アジアに立てた「幻の王国」ですが、あらためて遺物を見ると予想以上にヘレニズムの伝統を守っているんだなあと。
建築も神像もギリシアそのものです。

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(この本持ってるけど、いまはこんな高値がついてるのか)


とはいえよく見ていくと細部にペルシアやインドの文化的影響というものちゃんとあって、とくに面白いのは「キュベーレ女神円盤」。
画像を載せるのはまずそうなので、検索してみてください。


第三章はティリヤ・テペ遺跡。
「遊牧民の王墓」といった紹介をされていたけど、調べたら正確にはサカ・パルティア人の遺跡らしいです。
このあたりの歴史については青木健さんの『アーリア人』が詳しい、というか他にほぼ(一般向けの)類書がないところではあるんですが、

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(近頃はこういうニッチな歴史の概説書が出回ってきてありがたい)


1.バクトリア王国が分裂・衰退し、アルサケス朝パルティアが西進してアフガニスタン周辺が空白状態となり
2.草原から遊牧民のサカ人がイラン高原を目指して南下するも、パルティアのミトラダテス2世は彼らをインド亜大陸方面に誘導し
3.そんなところに横から匈奴に追われた大月氏が突っ込んできてバクトリア旧領を占拠し
4.その大月氏の一派が独立して中央アジアと北部インドにまたがる大帝国のクシャーン朝を建設

みたいな流れらしい。
けれど異説も多く諸説紛々という状態で、諸集団の関係とか前後関係とかは謎だらけという感じです。

この遺跡からは無数の黄金製品とともに埋葬された高貴な女性の遺骨が5体見つかったということで、もしかしたら前漢の張騫が訪れた大月氏の本拠地だったのかもなあと思わなくも。
張騫によれば大月氏は女王を戴いていたらしいので。そうだとすればティリヤ・テペの遺宝は月氏や匈奴の文化をビジュアル的に再構成する大きな手掛かりになります。


四番目はクシャーン朝のベグラム遺跡です。
この王朝では有名なカニシカ王のもとで仏教文化が大繁栄することになりますが、遺物を見るとまだまだギリシアの文化が色濃く受け継がれています。いわゆるガンダーラなんたらってやつです。
それからエナメルで彩色されたガラス杯が展示されていたんですが、まるでつい昨日彩色されたような鮮明な色彩のうえ、描かれた人物たちの格好が実にモダンで驚き。
現代そのままとは言わずとも、帽子なんかルネッサンス時代のイタリアと言われても通る感じです。思ったよりも昔から、人間は同じような服装をしていたのかもしれない。


最後はアフガニスタン流出文化財と題して、博物館員たちとは別に国外で保護されていた遺物群が公開されていました。


全体のなかでとりわけ興味深かったのは、ティリヤ・テペで若い女性がローマのティベリウス金貨・パルティアの銀貨・前漢の青銅鏡とともに埋葬されていたということ。
世界の東西にあって互いの存在すらも知らなかった二つの帝国は、この土地で間接的に出会っていたわけです。

また、同じ遺跡からは最古の仏陀像(らしいもの)が刻まれた金貨も発見されています。
この小さな金貨には車輪に手を置く男の姿が掘り出され、右上に「法輪を転ずる者」(添えられていた英文を直訳すれば「法/秩序の車輪の回転に動きを与える者」だったような)という文字が記されています。
これは紀元前1世紀の第四四半期のものらしいので、中国でいえば王莽が台頭をはじめる頃にあたります。

『魏書』によれば中国に初めて仏教が伝来したのは紀元67年、後漢の第二代皇帝、明帝の治世とされています。
仮にそれが事実とすれば、この小さな金貨が鋳造された頃に生まれた子供が、年老いて死ぬ頃に仏陀の教えは東アジアに到達したのかなと。
こういう時間感覚が、歴史を深く理解するうえでとても大切だと思います。

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次は「中華世界の歴史」の続き、後漢王朝史になりそうです。
後漢王朝って地味な印象のわりに、調べてみると羌族との大戦争で大変なことになっています……チベットつよいです。

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